ゼロ by 堀江貴文【書評】

はじめに

ゼロというタイトル。その意味としては、人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、そのスタートラインに置いては、誰もが等しくゼロなのだ。

まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。本当の成功とは、そこから始まる。

人生にマイナスは存在しない

人生にマイナスなんて存在しない。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。

なにか1つでもできたら、それを加点していくことができる。加点方式なのだ。

そもそも、失敗して失う物なんてたかが知れている。何よりも危険なのは、失う事を怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなる事だ。

まずは掛け算をめざさず、足し算からはじめよう。

「働くこと」は唯一の手段

どんなにたくさん勉強したところで、どんなにたくさんの本を読んだところで、人は変わらない。

自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。

勉強でも仕事でも、歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。

何もかも忘れるくらいに没頭すること。何事も得意だとか苦手だとかという先入観で物事を判断せず、目の前の作業にハマってしまえばいいのだ。

挑戦を支える「ノリのよさ」

チャンスだけは誰にでも平等に流れてくるもの。

目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことができるか。そこが問題なのである。

チャンスの見極め方が分からない?その発送が既に「ノリの悪さ」を表している。

チャンスを見極める目なんて、必要ないのだ。すこしでもおもしろいと思ったら、躊躇せず飛び込もう。

何のために働くのか

よく宝くじに当たったら会社を辞めて南の島でのんびり暮らしたいといった声を聞くし、そう思いがち。でも、要するにそれは「カネさえあれば、仕事なんかいますぐ辞めたい」という話であって、裏を返すと「働く理由はカネ」ということなのだろう。

しかし、お金が欲しくて働く訳ではない。では、なんのために働くのか。

「メシを食うため」とか「家賃を払うため」は理由にならないし、そこで考えを止めてしまうのは、ただの思考停止だ。

人生の中で、仕事は最も多くの時間を投じるものの一つだ。そこを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えても間違っている。

どうして宝くじに当たったら会社をやめて南の島という発想がくるのか。

多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているのだ。

そうではなく、「お金(給料)とは『もらうもの』ではなく、『稼ぐもの』である」ということだ。

自分の時間を差し出しておけば、月末には給料が振り込まれる。そんなものは仕事ではないし、働いていても楽しくないだろう。たとえ会社員であっても、自らの給料を「稼ぐ」意識を持たなければならない。

そして積極的に稼いでいくために、自分は「時間』以外のなにを提供できるのか、もっと真剣に考えなければならない。

どんな仕事にも「やりがい」はある

やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。

そして、どんな仕事であっても、そこにやりがいを見いだすことはできるのだ。

仕事の喜びとは、こういうところからはじまる。

マニュアル通りにこなすのではなく、もっとうまくできる方法はないかと自分の頭で考える。仮説を立て、実践し、試行錯誤を繰り返す。そんな能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくり出す仕事」に変わっていくのだ。

仕事とは、誰かに与えられるものではない。

能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。

そして大切なのは順番。ひとは「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。

「やりたいことがない」は真っ赤な嘘だ

アクションを起こさないのは、最初からできっこないとあきらめているからだ。できっこないという心のふたさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のように溢れ出てくるのだ。

でも注意しよう。仕事でも勉強でも、あるいは恋愛であっても、人は「できない理由」から先に考えると、どんどんネガティブになっていく。

突き抜けられる人とそうでない人の違いは、次の一点に尽きる。

物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。能力の差ではなく意識の差である。何事もできるという前提に立って、そこからできる理由を考えていくのだ。

起業によって「失うかもしれないこと」を心配するのではなく、起業によって「得られるもの」を考えるというのがいい例だ。

やりたいことは全部やれ!

何事に対してもできるという前提でできる理由を考えていくと、あれもやりたい、これもやりたいという状態になる。

そのときは、「全部やれ!」だ。なぜなら、人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうのだ。

自分にはなにもできない、どうせ自分はこんなもんだ、この年齢ではもう遅い。もしそんな不自由さを感じているとしたら、それは時代や環境のせいではなく、ただ思考が停止しているだけである。

ネガティブになっていったところで、ひとつでもいいことがあるだろうか?

ネガティブなこと考える人は、ヒマなのだ。

有限の時間をどう生きるのか

僕らは、「自分の時間」を生きるのか、それとも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。

自ら生み出す仕事に臨んでいるとき、あなたは「自分の時間」を生きているのだ。

まとめ

あまりにも盛りだくさんの内容となっている良書。能力ではなく意識、それは確かにそうだと思うし、そうでなくては成功はないと思う。

また定期的に読み返したい本。

【本書の主な目次】
第0章 それでも僕は働きたい
第1章 働きなさい、と母は言った──仕事との出会い
第2章 仕事を選び、自分を選ぶ──迷い、そして選択
第3章 カネのために働くのか?──「もらう」から「稼ぐ」へ
第4章 自立の先にあるつながり──孤独と向き合う強さ
第5章 僕が働くほんとうの理由──未来には希望しかない

この記事を書いた人

Ricky Tokunaga

ニューヨーク州弁護士。テレビ出演、ニュースメディア取材など。
東京在住の会社員。在米期間は11年。
モットーは次元上昇ライフスタイルデザインと一流で自由なライフスタイルのあくなき探求。

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